どこにでもあるジレンマ
最近俺も大人になったなと感じることがある。
以前は自分の好きなことやってれば報酬なんかは
生きていけるだけでいいやとか思ってましたが、
なんというか、これでは誰も幸せにならないなと。
別にガッポガッポ儲けたくなったといわけではなく、
自分なりのインプットがしょぼいと商品もしょぼくなるし
最終的には着てくださる方も満足できないのではないかと。
そりゃ、俺も服が好きだからいろんなものを見てきたつもりだが、
時間がたてばさらに様々な服も文化も出てくるし、それをわかってる風じゃなくて
ある程度は体感しておかねば、想像力も枯渇するというものだ。
第一、自分の過去の栄光を引きずって仕事したくないしね。思考が止まっては
ダメだと思います(意識高い)
そうこうするうちに、一年が経とうとしている。何かやるべきことを成したでしょうかね。
自分がいいと思った商品が正当に受注をもらって、しかるべき数量をオーダーすることで、
しかるべきコスト、しかるべき納期を確実にして、消費者に届ける。
なんとも当たり前のように思うのだが、これができれば何の苦労もない。
自分がいいと思った商品に対して評価をもらうということが大変難しい。
正直、自分がいいと思った商品が売れなければ、それは本当に価値のないことで、
みんなを不幸せにする。手のひらを返したように、こだわりは自己満足になり、
個性は世間知らずとなり、工場は潰れ、消費者の熱は冷めてしまう。
逆に、自分がいいと思わない商品を売って、仮に売れたとしたらどうか。
仕事だと割り切りその状況に納得するのか、自分でなくともいいのではないかと
去っていくのかはその人次第でしかないよねー。
けどね、俺は前者よりも後者の方がずっとましだと思うんですよ。
たくさん売れる、たくさん買ってもらえる、たくさん着てもらえる。
服にかかわる仕事に関してはそれこそが唯一の救いだと思うのですよ。
以前、営業に「自分が本当に作りたい服を作ってよ」と言われたことがある。
俺は無理だよと答え、なんでと聞かれてこう答えたことがある。
「〇〇の生地(好きなイタリアのお高ーい生地屋)を使って、黒一色で展示会しちゃうよ」
営業は「そりゃ無理だね」と笑っていたが、つまりそういうことである。
デザイナーも人それぞれだが、雇われの場合基本的には本当に好きなものと、作ってるものが完全にリンクするかと言えばそうではない。
自分の中でありえないもの以外は何でも作ってしまうものだ。
むしろ、その器用さがないとこの時代、多分食べていけないと思う。
先ほどの黒い服のように本当にいいと思う、好きなことしかやらなかったら
その服は自分とほんの一握りの消費者しか幸せにならず、
その服に関わっている多くの人たちの不幸をもたらしてしまうのですね。
そういうことを思いながらこの一年はやってきた。
時にはかなり媚びたあざといものを作ったり、ぎりぎり許せる部分までのことも
やったと思う。もしかしたら、本当は許せないこともやってしまったかもしれない。
服作りで真っ当に生きていこうとして、俺がファッションと思うモノからずいぶん遠く
離れてしまったような気もする。
で、最終的になんだか気がついた。
多分、自分に実力がないからファッションならざるもので生きていかねばならぬのだと。
もうちょっと力があれば、ファションたるもので仕事ができるのではないかと。
ちょっと諦めかけてましたが、自分次第でどうにかなるような気がしてきました。
まー、まだちょっと希望の光を感じた程度で、そこまで行きついてもいないのですが、
来年もその先もしばらくは、ぎりぎり許せるファッションをこなしながら、その機会を伺おうと思います。


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