どこにでもあるジレンマ

 
今年もあと一カ月となりました。
速いねまったく。

最近俺も大人になったなと感じることがある。

以前は自分の好きなことやってれば報酬なんかは
生きていけるだけでいいやとか思ってましたが、
なんというか、これでは誰も幸せにならないなと。


別にガッポガッポ儲けたくなったといわけではなく、
自分なりのインプットがしょぼいと商品もしょぼくなるし
最終的には着てくださる方も満足できないのではないかと。


そりゃ、俺も服が好きだからいろんなものを見てきたつもりだが、
時間がたてばさらに様々な服も文化も出てくるし、それをわかってる風じゃなくて
ある程度は体感しておかねば、想像力も枯渇するというものだ。


第一、自分の過去の栄光を引きずって仕事したくないしね。思考が止まっては
ダメだと思います(意識高い)


そうこうするうちに、一年が経とうとしている。何かやるべきことを成したでしょうかね。


たくさん売るっていうのは難しい。
自分がいいと思った商品が正当に受注をもらって、しかるべき数量をオーダーすることで、
しかるべきコスト、しかるべき納期を確実にして、消費者に届ける。

なんとも当たり前のように思うのだが、これができれば何の苦労もない。

自分がいいと思った商品に対して評価をもらうということが大変難しい。


正直、自分がいいと思った商品が売れなければ、それは本当に価値のないことで、
みんなを不幸せにする。手のひらを返したように、こだわりは自己満足になり、
個性は世間知らずとなり、工場は潰れ、消費者の熱は冷めてしまう。


逆に、自分がいいと思わない商品を売って、仮に売れたとしたらどうか。
仕事だと割り切りその状況に納得するのか、自分でなくともいいのではないかと
去っていくのかはその人次第でしかないよねー。



けどね、俺は前者よりも後者の方がずっとましだと思うんですよ。

たくさん売れる、たくさん買ってもらえる、たくさん着てもらえる。
服にかかわる仕事に関してはそれこそが唯一の救いだと思うのですよ。


以前、営業に「自分が本当に作りたい服を作ってよ」と言われたことがある。
俺は無理だよと答え、なんでと聞かれてこう答えたことがある。

「〇〇の生地(好きなイタリアのお高ーい生地屋)を使って、黒一色で展示会しちゃうよ」

営業は「そりゃ無理だね」と笑っていたが、つまりそういうことである。


デザイナーも人それぞれだが、雇われの場合基本的には本当に好きなものと、作ってるものが完全にリンクするかと言えばそうではない。
むしろ、ほとんどの雇われデザイナーは自分の中に無いものは作れない程度で
自分の中でありえないもの以外は何でも作ってしまうものだ。
むしろ、その器用さがないとこの時代、多分食べていけないと思う。


先ほどの黒い服のように本当にいいと思う、好きなことしかやらなかったら
その服は自分とほんの一握りの消費者しか幸せにならず、
その服に関わっている多くの人たちの不幸をもたらしてしまうのですね。


そういうことを思いながらこの一年はやってきた。

時にはかなり媚びたあざといものを作ったり、ぎりぎり許せる部分までのことも
やったと思う。もしかしたら、本当は許せないこともやってしまったかもしれない。


服作りで真っ当に生きていこうとして、俺がファッションと思うモノからずいぶん遠く
離れてしまったような気もする。

で、最終的になんだか気がついた。

多分、自分に実力がないからファッションならざるもので生きていかねばならぬのだと。
もうちょっと力があれば、ファションたるもので仕事ができるのではないかと。


ちょっと諦めかけてましたが、自分次第でどうにかなるような気がしてきました。


まー、まだちょっと希望の光を感じた程度で、そこまで行きついてもいないのですが、
来年もその先もしばらくは、ぎりぎり許せるファッションをこなしながら、その機会を伺おうと思います。




| | コメント (1)

大きな失敗と小さな成功

よく言われることだけど、失敗から学ぶことは大きいな。

成功から学ぶこともあるけど、失敗はなぜ失敗したか記憶に残る。
特にそれを世に出した張本人は、それを作ったばっかりにいろいろな人を苦しませたという自責の念に駆られ、しばらく苦しむことになる。だから、失敗が怖くなり、ある意味学んでいくのですね。

でも本当は成功をもっと分析したほうがいいのだろうなと思う。成功の分析は個人的なものではなく組織として認識しないといかんのですよ。主観では無く、なるべく客観的に認識するために事実を共有することが大事だなと。

しかしまぁ、成功は分析しないことが意外と多くって、人間の心理なんだろうか。

例えば、売り上げの会議なんかでは売れなかった商品に関してひどく追及される。
売れた商品はスルーみたいな。商品企画部の晒しあげの為の会議なんじゃないかみたいな。

まー悪い慣習だ。批判するのは簡単だからかな。

売れなかった商品を批判するのは動かざる悪が存在してるから、分析が簡単なんですよ。
バカでも売れない理由を羅列することができる。(てか言われなくても企画してる方はなぜ売れないのか痛いほど知ってるつーの!)

逆に売れたモノに対してはその分析は曖昧で、その先を考えるのはバカじゃ出来ない。最悪「よかったよかった」で終わるケースが多いのだ。俺から言わせれば、売れた商品に対して3分間以上その理由を話せない人間はダメですね。特に企画した本人は。
ともかく、過ちの責任追及で終始する会議をやってる会社はササッと潰れてしまうのですよ。


繰り返し言いますが売れた商品を徹底的に追及するのがセオリーで、売れなかった商品は当事者(製作者)がひそかに猛反省してれば済む話なんです。


どうでもいい話を続けますが、ファッションブランドをやる時もこういうことは大事だなって思うのです。

ぶっちゃけ、俺は失敗した経験があります。以前やっていたブランドは無くなりました。
いろいろと理由はあるのですが、デザイン面を担当していた俺の責任としては、ブランディングをスムーズにする決定的な商品を生み出せず、会社が求める規模までビジネスを広げることができなかった。その点においてはまったくもって無能でした。才能がなかったんですね。


一つ一つの商品は良かったと思うし、今でもブランドを買っていただいていたバイヤーからウチでは売れてたのにとか、これから期待して多くバイイングしてたとか、お隣の国でも売ってましたから、向こうの出資者からデザインやらないかと言われたり、まぁ、うれしいことではあるのですが、大きなブランドに発展させることが出来なかったのは事実で、俺としてはもう終わったことなんです。


脱線してしまいましたが、俺のデザイナーとしての結論は、先ほども言ったこれから先売れ続けるシグネチャーをデザインできなかったということ。

今思えば、その芽はたくさんあったのにそれに気づかなかった。売れたモノを大事にできなかったということでしょう。


先日、新たにブランドをやりたいという人の話を聞いてくれと知人に頼まれ、少し話を聞きました。

その人が言うには、なるべくテイストとアイテムを絞って展開したい、ブランディングという意味もあるし、素材やアイテムを絞り込むことでリスクを軽減したい。ということでした。


だれでも考え付く子供みたいな発想だなと思いながら聞いておりました。

(想像ですが、こういう人はちょっと売れ始めるとその他のアイテムに手を出してしまうタイプです)

まぁ必然性とかストーリーとかいうとこれもまた陳腐な表現ですが、そういうのは必要でしょうね。商品見ればわかります。

例えばワンピースのみでやっていくというブランドでも、単にワンピースだけを作っているのか、それとも世界観のためのワンピースなのか。そんなもんすぐに見破られます。だいたい単に作ってるブランドの人になぜコレなのかを聞くと説得力がなく、最終的には先ほどのように「小さいブランドだから仕方なくワンピースにしました」とか、「アイテムは絞ったほうがいいと思いました」とか、「他がやってないと思ったのでコレにしました」みたいな答えが返ってきます。なんかガッカリします。
素材やアイテムも自然と絞り込まれなくては人為的で胡散臭いものです。
そして、結果絞り込まれた商品は計画を聞いただけでもワクワクするものであって当然だと思います。んで、大事なことは勝算です。勝てないと無意味です。最低でもリサーチは必要です。

それでも普通はいきなりは成功しません。なんでも試行錯誤して、少量でも売れたという実績から次の手掛かりをつかむのです。(偉そうに言ってますが頭でわかっていたつもりでも俺はそれをつかむ力が足りなかった)

もちろん、最初はデタラメでも最終的に掴んでしまえばいいので、俺はこの場で失敗しますよとかそんないい加減なことは言えなかったのですが、「とりあえず、ヒット商品の開発が急務ですよね」と言っておいた。(自己資金じゃなく他の会社からの手助けでやる事業らしいので)


批判めいた事ばかり書いてテンションも上がらないのですが、まぁ、得意なことをやったほうがいいですよ。そして何が得意かどうかは実はあんまり自覚してる人はいなくって、失敗と成功の経験からしか得られないのですよ。

言い換えれば他人からの評価からしか自分が得意なことなんてわかんないものです。もしくは自分が得意と思ってることでも他人からするとそこじゃねーだろと言われるケースもよくありますしね。

だから、他人の評価を大事にして、良かったものを即座に分析してじっくり育て上げるのですよ。俺の少ない経験から言わせてもらうと、他人の評価が高いものって結果的に余所には無いもので差別化されてる商品なんです。他人が勝手に自動的に見つけてきてくれるのです。便利ですね。

そういう意味では多くの人に知ってもらうってもの大事ね。


まとめると、たくさんの人に知ってもらって、評価されたものを大事に育てる。簡単ですがそれがスマートな考え方かな。

そういうと、大量生産するようなブランドにしたくないんでー的な答えが返ってきますが、
年商2~3億くらい商売してから言ってほしいですね。それ以下だとアパレルの世界においては(あくまで物量的には)無いものと等しいと思います。
まぁ、自信があるなら、多くの人に知ってもらいたいと思うし、ニッチなデザインであったとしてもそのデザインを待ってる人に一人でも多く知ってもらいたいと思うのが普通でしょう。


なんだか、経験皆無な人間語る、ブランドの考え方講座みたいになってしまいましたが。
ここまで来て言うのもなんですが、ファッションデザインなんて才能ですから、才能あれば大丈夫じゃないかな(俺は才能だけでやっていけてる人知らないけど)俺みたいに才能ない奴らは多少セオリー通りに考えないと土俵にも上がれないのが現状でしょう。

駄文失礼しました。

| | コメント (0)

資格とか

久々の更新です。

こないだ、知り合いからミニストップにはソフトクリームマイスターという試験に合格したプロがいるということを聞きまして、そんな人がいるのならその店でソフトクリームたべたいなーと。残念ながら、どこのミニストップがマイスターなお店かホームページでは確認できませんで、もったいないなーわかれば遠くても行ってみようと思うのにと思った次第です。

その時ふと思ったのですが、服屋さんにはそういうマイスター的な特技を持っている人ってどのくらいいるんだろうと。いやソフトクリームの話ではないですよ。ファッションに関係する資格、技能のことです。

例えば、カラーコーディネーターとか、繊維製品品質管理とかテキスタイルアドバイザーとか。単純に、色彩検定とかカラーコーディネーター一級の資格を持ってる人に、自分に合う色を見てもらいたいなーとか思ったわけです。

以前、知り合いと話しているときに、伊勢丹かどこかで「あなたに似合う色を教えます」みたいなサービスをやってて見てもらったという話を聞きましたが、そういうのって服を買う時に地味にうれしいというか、もちろんそれを鵜呑みにするってわけじゃないですが、何かの参考にはなると思うんですよね。

あと、繊維に関してもちゃんと勉強してる人の意見を聞きたい。「これって家庭で洗えるんですかー?」とか聞いたときに「私も持ってますけど、家でジャブジャブ洗ってます」とかいう店員さんいますけど、そういう時って本当かなぁ?なんて私は思ってしまうわけですよ。けど、名札かなんかに『繊維製品品質管理士』なんて書いてあったら、説得力ありますね。まぁ、権威に弱いわたしだもの。信じちゃいます。

いや、もしかしたら販売員の方もいろいろと勉強し、資格やらなんやら持ってる人も多いのかもしれません。がしかし、そういうのはきちんと明示したほうがいいのではないかと思います。たとえば、靴の世界だとシューフィッターという資格がありまして、百貨店なんかでは名札に書いてある場合が多いと思います。普通の店員さんよりもそちらの接客を受けたいなと俺は思うわけですよ。

俺も学生の時にファッション販売能力検定などという試験を無理やり受けさせられましたが、今となっては大事だよねーと思ったりもします。やっぱ販売は才能もあるのかもしれませんが技能ですよ。

若い時はね、服なんてお客様が好きなように選んでくれればいいんじゃなんて思ってましたし、俺自身も消費者として好きなもん買わせろやーって思ってました。今でも多少は思っているのですが、逆に言うとなんか説得力のある店員いねーなーって思ってるからってのもあります。

俺は販売員の経験もほとんどないですし、偉そうなことをいうつもりもないですが、若い販売員が歳をとり、自分に相応なブランドやショップに移ったとします。その時に感じるはずですよ。服ってデザインや素材、知名度だけでは売れないんだなと。大人は信頼できる人から買いたいものです。ブランドを買うというのと人から買うということがほぼ同じ比重になってきて、さらには逆転する場合も多々あります。


そういう時にこそ、ファッションはもとより、色彩、品質の知識など毎年変化する知識を身につけ、実践していくのはいいことだと思うのですよ。そして、販売員を社員に持つ会社もどんどんそういう資格や技能をとらせる制度、それをちゃんと名乗れる仕組みを作って消費者にプロがいるショップというのをアピールしていただきたいですね。


そういう流れができると、より実践的で高度な資格ができるかもしれないし、さらに日本のファッション接客が世界でも類を見ないレベルに達するかもしれません。

ともかく、オシャレで感度の高いショップの場合に限って、そういうお固いことよりもフィーリングでしょ。みたいに思われるかもしれないですけど、単に気分で物を言わない店員さんがいたら逆にかっこいいなって思う今日この頃です。

| | コメント (0)

雑感

こんにちは。

なんか最近安い服ばかりかっていて、その理由としてはそろそろ身の丈に合った生活をしようかなということと、ここにきて意外と服が必要なことに気がついて高いものを買うよりもまず数を増やさないとなということなんですけど。

安い服と言いましても、極端にオンボロなものは年齢的にも恥ずかしいし、古着とかはちょっと難しくて一応会社に着て行っておかしくないもの、変に思われないものを選んでいるのです。

(でも、社内ではボロボロの服を着てる人間という評判があるようなないような)

そんでもって、これまでのなけなしの経験と知識をフル活用してなるべく安物に思われないような服を買い、人前に出ておるのですが、おかげさまで安物の服は大活躍しておりまして取引先の方々にもどこで買ったの?などと聞かれることも多く、はぁ、以前に買っていたそこそこのブランド物よりも褒められるんじゃね?みたいに複雑な気分になっておるのですよ。

以前の俺は、好きなものを着ればいいんじゃね。というスタンスで、似合う似合わないというのはあまり考えないでいいと思っておりました。理由は似合う似合わないというのは既にその人のファッション観として持っているものであって、無意識のうちに似合うもの=好きなものの前提で服を選んでいるから、今更深く考えなくてもよいのではということと、似合うというある種客観的なようでいて意外と主観的な判断ではもしかすると嫌いなものを似合うものとして選んでしまうのではないか、つまり、自分の価値観を捻じ曲げてストレートな買い物ができなくなるのではないかという考えがあったからです。

けど、それは昔の話。アラサーとは言えない年齢になってくると、体つきも変わってきますし、顔も老けてくる。若い人は痩せればいいじゃんというかもしれないが、必要以上に痩せると貧相になるものなんですね。まぁ、人によりけりだろうけど。

そうなるとどうしても、大人の服しか買わなくなってくるのです。そして厄介なのが、大人の服ってあんまりないということです。

いや、ありはするのだが、値段が高いのですよ。俺みたいな庶民には買えない値段なんだな。だから探すのに一苦労。基本仕事でスーツを着る機会もないですし、かといってドカジュアルな服装をするわけにもいかない。シンプルなコンサバ服はありますよ。世の中にいっぱい。けどね、そういうのって背が高くてスタイルのいいいわゆる服が似合う人じゃないと俺なんかが着ても面白くもおかしくもないわけ。裸のほうがましね。

ツイッターなんかやってると、最近は普通じゃない普通服が流行ってるらしいじゃないですか。なんか、ニットなんかでも一見普通だけど、素材にこだわってるとかそういうので、値段も高い。んで、おうちのクローゼットではトムブラウンみたいに同じような服でズラーっと揃えてるとかそういう感じらしい。(間違ってるかもだけど)

まぁ、ツイッターや一部のファッションジャーナリストの情報なんで俺の周囲には全く関係なくってむしろ、だからなに?その前に顔面をどうにかしろよと言われそうなのでそんな流れに乗っかる気もさらさらないのですが、普通の服でもいい感じのものを探そうとするとそういう風なお値段の高いものになってしまういのだろうなぁとも思ったりしました。
(けどね!ぶっちゃけカシミヤのセーターだってすげーいい素材ときれいな目面であっても4万出せば買えるよね普通。それ以上のものは絶対ブランド付加価値だよ。なんかその辺の良心的な大人服を作ってるメーカーないのかなぁ、できればフルアイテムで)


けどさ、やっぱ俺にとって服は自己満足っちゃそうなんだけど、「カイゼさんいつもいいもの着てるね」俺「そうかな・・?でへへ^^;」という会話ができればそれでいいのですよ。それ以上の満足は特に願ってないのです。

| | コメント (0)

俺は女が嫌いだ

始めに断っておきたいが、「ホモ以外は帰ってくれないか」という話ではない。単に俺の人生の上で女とどうしてもうまくいかない話をしたいだけだ。

前も書いたかもしれないが、俺は女系家族で育って、小さいころから女に虐げられてきた。奴らは仲間を作る。卑怯だ。数の暴力で負けてしまう。

そういう風だから学校でも女とは卑怯な生き物だという前提のもと接するわけで、女と仲良くなんてなれっこない。一時は仲良くなれそうな気がしてても、どうせ奴らは裏切り手のひらを返したように俺をないがしろにするだろう。いや、そうに違いない。精神が繊細な俺なので傷つく前に近寄らないようにしてきた。

その後、飲食店でバイトした時も「店長!カイゼさんとは一緒に仕事したくありません!」などと数回の手痛い攻撃を受け、大学時代のサークルでも俺が大っきらいな言葉「ハァ!?」を何度となく食らい、夜な夜な枕を濡らした。いつか見てろ、絶対に復讐してやる。と心に決めて青春時代を過ごしたのだ。

俺が考えた復讐の方法は、奴らが大好きなこと仕事にしてギャフンと言わせるというものだった。どうだお前ら。俺の作った服を着たいだろう。ギャフンと言えよ!さあ早く!!てな感じで。そして俺はファッションの道を選んだ。

もともと美しいものは好きだった。子供のころから母の裁縫道具箱が宝箱のようにキラキラと見えていて、隠れて縫物もしていた。今考えると、ミュージシャンという手もあったがファッションのほうが自然だったのだと思う。(まぁ、音楽はファッション以上に才能なかったから間違わなくて良かったわ)

そして現在。こんなはずじゃなかった。ファッション業界は女が多い。マジ不快な業界だった。ストレスは貯まる。けど、奴らのドロドロの人間関係をキラキラの服で中和させながら精神のバランスをとっている。

一応言っておくけど、女が作った服だからと言って嫌いにはならない。。そして、女が発案した美しいアイデアやドキッとするファッションに関しても。心にうそはつけないというか、服に罪はないと普通に思う。

女をみんな一緒に考えるなという意見もごもっともで俺が忌み嫌う自己中心的で気分の浮き沈みが激しくて、暇さえあれば客観性のない愚痴を言い、自分ことは棚に上げ、型にはまった男らしさを強要し、自らの保身のためにはどこからともなく仲間を引き連れてくるマドハンドみたいな奴ばかりではないのもわかっているつもりだ。

だが、どうしても許せない。俺の前世でどんなひどい目にあったか知らないがどうしても俺を日々苦しめる女どもを好きになれないのだ。

可愛さ余って憎さ100倍?NO,NO!そういうわけないでしょ。最初から最後まで憎しみですよ。デレませんよ。ツンツンです。

だから俺はいつか奴らに「参りました」と言わせる日まで復讐をやめないし、もう要らないといわれる日までこの業界に居座りますよ。







| | コメント (0)

«実はファッションが好きではなかった